映画のスクリーンや人気スポーツでの活躍ぶりを見ていると、つい忘れてしまいがちになるが、自由の国アメリカでは、現在でもアフリカ系アメリカ人(黒人)差別は根強く残っている。アフリカ系アメリカ人の現在の状況と歴史を知ることは、アメリカという社会を知るために不可欠なことである。
奴隷船による拉致、抑圧と強制労働、奴隷解放運動、奴隷解放、公民権運動から真の平等を勝ち取る運動へといったアメリカ黒人史の概括を知るためには、『アメリカ黒人の歴史』(本田創造著、岩波新書)が適書である。捜査関係者の大半が冤罪と知りながら、つい十数年前の1987年にミシシッピ州で執行された黒人青年の死刑から端を開く本書は、人種差別を未だ克服されない現実の問題として捉える態度で、黒人史を記述している。
さらに著者は、白人ではなく黒人の側から黒人史を綴る視点を重視し、黒人がアメリカ史の中で果たした役割を正当に評価する。その態度は、アメリカ黒人は300年以上の長きに渡り、「黒人奴隷制度と人種差別制度の重圧の下に置かれながらも、自らの解放とこの国の社会進歩のために営々と闘いつづけてきた苦しくも輝かしい歴史をもっていた」との一文が端的にあらわしている。たとえば、著者はアメリカ独立運動に黒人兵が積極的に参加したことなど、白人の視点で書かれた歴史には記述されていない事実を示した上で、こう語る。『独立戦争に多くの黒人が参加したにもかかわらず、合衆国憲法は奴隷制度を容認し「自由と平等と幸福」は黒人の前を素通りした』。
植民地アメリカのジェームズタウンに初めて黒人奴隷が拉致されてきた1619年、同じヴァージニアで植民地議会が初めて開催されている事実を、著者は重く見ている。それはアメリカの民主主義が黒人差別という矛盾した要素をその起源から内包していたことを、象徴的にあらわしているのである。
『黒人のアメリカ : 誕生の物語』(荒このみ著、ちくま新書)は、アメリカの黒人はどのように誕生し、アメリカの社会でどのような存在となったのかを、マーティン・R・ロビンソンという自由黒人作家の未完の小説をテキストに、南北戦争の時代に焦点を絞って検証する。読ませどころは、黒人への拒絶は、奴隷制度に経済を立脚させていた南部よりも、北部でより強かった、という事実の指摘である。奴隷とともに暮らしていた南部では、農園主は奴隷の作った食事を食べ、子守をさせ、黒人女性に子どもを生ませるなど、抑圧しながらも黒人と「共生」していた。が、黒人との接触の少なかった北部では、黒人への拒絶反応が強かった、というのである。そして、解放された黒人奴隷との共生は不可能と考えた北部の白人が、解放黒人をアフリカの"新天地"リベリアに送り返すために設立したアメリカ植民協会の実態を明かす。著者が繰り返し強調するのは、ごく最近まで、アメリカ人といえば「白人」を指すことが暗黙の了解だったという事実であり、その事実を、著者は史実の発掘を通して語るのである。
『ブラック・ムービー : アメリカ映画と黒人社会』(井上一馬著、講談社現代新書)は、スクリーンの中に登場するアフリカ系アメリカ人の歴史を辿ることで、アメリカ社会での黒人解放の歴史を描いた秀逸の書である。黒人初の大スターとなったポワチエ、初のメジャー監督ゴードン・スパークス、「大逆転」のエディ・マーフィーに「カラーパープル」のウーピー・ゴールドバーグ、「マルコムX」を撮ったスパイク・リー監督、「ボディガード」のホイットニー・ヒューストン…、これらの人々の登場が、アメリカ社会においていかに画期的な出来事であったかを懇切丁寧に解説する。たとえば、エディ・マーフィー以前には、ハリウッドで黒人が主演スターになることはなかったし、ホイットニー・ヒューストン以前に、白人の大スター(ケビン・コスナー)に守られるヒロインを演じる黒人女優はいなかった、と。そして、それらの意味を語ることで、黒人差別の問題が鮮やかにクローズアップされていく。
『「風と共に去りぬ」のアメリカ : 南部と人種問題』(青木富貴子著、岩波新書)は、アトランタでの豊富なインタビューを素材に、この小説と映画への批判を紹介することで、アメリカの人種問題の複雑さを明らかにする。アメリカでは見かけの肌の色ではなく、祖先に一人でも黒人がいれば黒人と分類される、という事実への著者の驚愕は、そのまま読者の驚きに繋がっていく。
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