人類は核という悪魔の兵器を手にしたが、それが実際に使われたことは、これまでに2度しかない。いうまでもなく、ヒロシマとナガサキである。日本は世界で唯一の被爆国である。が、その筆舌に尽くしがたい悲惨の記憶も、いまや忘却の彼方へと消え去ろうとしている。核武装を論じることでさえタブーではなくなっているのが、戦争放棄と戦力不保持の憲法を持った被爆国の実情である。が、もちろん、困難を承知の上でヒロシマ・ナガサキを語り継ごうとする人々の努力は続けられている。
その日なにが起こったのか、原爆とはいかなるものだったのか。岩波ジュニア新書の3冊は、それを伝えようとする努力の結晶である。『広島長崎修学旅行案内 : 原爆の跡をたずねる』(松元寛著、岩波ジュニア新書)は、原爆で母を失った著者が、二つの都市に残された原爆のつめ跡を案内しながら、若い世代に向けて語りかける。「私は、皆さんが広島、長崎を見ることによって、考える人になってほしいと思うのです」と。たとえば著者は、広島の原爆慰霊碑の碑文「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」をめぐって起こった(主語はいったい誰なのか?という)論争を紹介し、考えること、想像力を働かせることの重要性を、若者たちに訴えている。
『1945年8月6日 : ヒロシマは語りつづける』(伊東壮著、岩波ジュニア新書)は、中学生の時に被爆し、戦後、核廃絶運動に身を投じてきた著者による。8月6日に起ったことを、様々な証言によって再現する一章から語り始め、原爆投下までの日本の歴史と戦中の生活、原爆の破壊力と被害の実態、被爆者の苦しみ、ヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されるに至った経緯、戦後の核廃絶運動までを、丁寧に語り継ぐ。
『ナガサキ : 1945年8月9日』(長崎総合科学大学平和文化研究所編、岩波ジュニア新書)は、長崎を舞台に、8月9日の記憶、戦後の核廃絶運動などを様々な証言に基づいて報告する。1945年8月に起った出来事は、ある人の家族や友人、財産と生活のすべて奪い、また、その人の肉体と精神に生涯にわたって回復不能の苦しみを与え続けている。そのヒロシマ、ナガサキの証言は、どの一つをとっても、とてつもなく重い。
原爆は、地上(投下された日本)からみるのと、上空(投下したアメリカ)からみるのとでは、まったく違う姿を見せる。原爆が地上を地獄と化したとみる日本と、戦争終結のために必要だったと考えるアメリカとの認識の溝は、まもなく戦後60年を迎えようとする今でも、埋めようもない。『原爆神話の五〇年 : すれ違う日本とアメリカ』(斉藤道雄著、中公新書)は、1990年代にスミソニアン航空宇宙博物館で企画され、ついには中止された原爆展の顛末を素材に、その「溝」の実態を冷静に追ったドキュメンタリーである。スミソニアンは、ヒロシマに原爆を投下したエノラ・ゲイを保存する博物館である。アメリカでは原爆を容認し、当然のこととしてとらえる傾向が強いという事実は、日本人を驚愕させるが、そのことが、日本で語られることは少ない。原爆展は、原爆投下の是非を問い直す意図を持って企画され、大統領の決定への疑問、原爆投下によって免れた米兵の推定死傷者数への疑問などにより、全米から大きな反発を受けた。アメリカでは原爆投下が戦争を終結させるためには必要だったのであり、結果、100万人の米国軍人の命を救ったと、いまでも信じられているのである。そうした実態を著者は、たとえば、エノラ・ゲイの元搭乗員の証言などから報告する。アメリカでは、日本人が原爆の被害を訴えると、日本軍がアジアでしたことについて問われ、その帰結として原爆は正当化され、議論が交わることは決してなかった。そうした中で、中止に追い込まれたとはいえ、アメリカで企画された原爆展の意義を著者は強調する。
『希望のヒロシマ : 市長はうったえる』(平岡敬著、岩波新書)にも、原爆をめぐる日米の認識の溝と、それを埋めようと努力した活動の経過が報告されている。被爆地広島の市長として核廃絶への運動に取り組んだ著者が、「ヒロシマ思想のひ弱さ」を指摘した一文は瞠目に値する。一方で戦争責任を日本人が全体としていまだに直視せず反省せず謝罪していないという日本の現実があり、他方に、「(日本は)悪いことをしたのだから、原爆を落してもよかった」とする、アメリカやアジアの国々の人々の考えがある。その溝を埋めるのに十分な説得力を、「ヒロシマの平和の願い」は持っていなかったと、著者は率直に認めているのである。
『爆心地ヒロシマに入る : カメラマンは何を見たか』(林重男著、岩波ジュニア新書)は、被爆直後に原爆被害調査員として広島の惨状を撮影したカメラマンの記録。『ヒロシマ・ノート』(大江健三郎著、岩波新書)は、芥川賞を受賞したばかりの若き日の大江健三郎が、ヒロシマで被爆者や反核活動家を取材した記録である。
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