テーマで探す新書ガイド 新書マップ BOOK MAP web magazine [ 風 KAZE ]
>>新書マップ検索画面へ戻る
テーマ Theme
テーマ Theme
脳死、臓器移植
日本でもスタートした脳死臓器移植について、その実情と脳死臓器移植に反対する論理と、推進する論理の対立点を考える。
関連書籍を探す
読書ガイド
 臓器移植法が施行され、日本でも脳死者をドナーとした移植医療が合法的にスタートした。が、臓器提供者の数は期待されたほど増えず、脳死臓器移植は、日本社会で市民権を得ることはできていない。また、臓器の「商品化」の是非をめぐる議論も、世界的なコンセンサスを得るには至っていない。そこには、人間の身体の一部を、「部品」と考えることや、「商品」として扱うことへの、論理では説明できない忌避の感情があるようにみえる。
 移植法成立以前には、脳死臓器移植について、反対、推進の双方の立場から盛んに議論が戦わされた。勢い、この問題について書かれた作品には、どちらかの立場に依拠して主張を繰り広げたものが多かった。が、施行以降は、賛否よりも、それまでにはなかった視点を提供して、臓器移植という事態の「意味」を探ろうとする野心をもった仕事が出てきた。『臓器は「商品」か』(出口顯著、講談社現代新書)は、その中でも秀逸の作品である。文化人類学者である出口は「商品と記号」という、文化人類学的な視点を提供して、臓器移植という事態を考察する。「商品」とは金銭などで代替可能なモノであり、「記号」とは他のものに代替のきかない意味を内包したモノである。同じロレックスであっても、父の形見であれば、それはその人にとって「商品」ではなく「記号」となる。臓器移植を推進する思想は、臓器を「商品」として扱うが、生身の人間は臓器を「商品」と納得することは難しく、その辺りに、臓器移植が孕む困難の原因があるのではないか、というのが、出口の仮説である。出口は、たとえば、臓器移植先進国であるアメリカで、臓器移植を受けた人が、移植された臓器を自己の一部と思えなかったり、手術を契機に性格が変わったと感じたり、二つの生を生きていると思い込んだりしているといった現象から、仮説を検証する。また、臓器移植に反対する日本の識者が、日本人が臓器移植を受容できない理由として、日本の伝統文化が臓器を「商品」として扱う物心二元論に違和感を持つから、とする説を、日本固有のものとは判断できないと、批判している。
『人体部品ビジネス』(粟屋剛著、講談社選書メチエ)は、臓器が商品となり脳死体が医療資源と化している世界の臓器移植ビジネスの実態を報告しつつ、先端技術と資本主義の行き着く先を見つめ、倫理を問う。著者は臓器移植ビジネスに疑問を抱いているが、論理的に突き詰めていく限り、臓器移植が倫理的に許されない理由を見つけることは不可能と告白している。
『私は臓器を提供しない』(新書y)、『脳死と臓器移植法』(中島みち著、文春新書)は、臓器移植に反対または慎重との立場から書かれた著書だ。前者は近藤誠(医師)、宮崎哲弥(評論家、仏教徒)、吉本隆明(作家)らが、それぞれの立場から、臓器移植に反対する理由を述べる。<ドナーカードを持っていると救命救急措置を手抜きにされる日本では時期尚早>(近藤)、<推進派は脳死体を利用しつくしたがっている>(宮崎)、<臓器移植は仏教の精神に反する>(山折哲雄、宗教学者、仏教徒)、<匿名性ではなく顔の見える関係でしか移植は考えられない>(橋本克彦、ジャーナリスト)など、反対する根拠はさまざまである。後者は臓器移植法成立までの10年間をリポートを通し、対立点を明確にして日本人の死生観を提示する。
『臓器移植をどう考えるか』(秋山暢夫著、ブルーバックス)は、臓器移植を推進してきた著者による、レポート。医師のたゆまぬ努力により困難な医療技術を切り開いてきた臓器移植の歴史と、脳死判定や臓器移植の技術を報告・解説した上で、是非を「判断するのはあなたです」と呼びかける。が、反対する立場の意見への言及はあっても、理解には乏しく、是を判断する材料にはなっても、非の根拠を考えるヒントは与えられていない。
ウインドウを閉じる
<< PAGE TOP