1989年12月、国連総会で、いわゆる死刑廃止条約が採択された。日本もこの条約を批准している。にもかかわらず、日本には死刑制度が存在している。先進国では日本だけがこの制度を残している(アメリカ合衆国も州によってはすでに廃止ずみ)。死刑制度の何が問題なのか。どうして日本はこの制度を廃止できないのか。
これらの疑問に正面から向き合い検証したのが『いま、なぜ死刑廃止か』(菊田幸一著、丸善ライブラリー)。1989年11月に福岡拘置所で死刑執行がなされたのを最後に3年4カ月間、死刑は執行されなかった。しかし1993年当時の後藤田正晴法相の署名により一挙に3人の死刑が執行され、その後も引き続き執行されている。
死刑廃止条約の基本となる国際人権規約を日本は批准した。死刑制度廃止に向けて政府も努力しなければならない国際的義務を負っている。しかしなかなかこれが実現しない。 本書では、死刑制度は憲法第13条の「すべての国民は個人として尊重される」という基本的人権を侵していないのかという疑問を投げかける。
死刑制度がなくならない背景には、死刑がなくなると犯罪が増えるのではないかという心配があるが、著者は死刑制度が犯罪抑止力にはならないと論証する。また、犯罪被害者の親族らの心情への配慮も死刑制度存続の背景にあるという見解に対しても疑問を提示する。さらに、死刑が憲法第36条の「残虐な刑罰」に当たらない、という最高裁の判例を問題視する。死刑囚は長い裁判をへて死刑確定宣告を受け、その執行までにまた長い時間をすごす。著者は、これは拷問ともいえる時間で、残虐な刑罰に当たるのではないかという。
本書は死刑廃止市民運動の紹介や死刑制度廃止後の代替案の検討をも視野におさめている。世論調査では、死刑存続支持派と死刑廃止派との数が伯仲しているが、近い将来は廃止すべき、という人が多数を占めるという。
『なぜ「死刑」は隠されるのか?』(原裕司著、宝島社新書)も同様の視点から、死刑制度を考える。「生きている死刑囚、法律に見る死刑制度、死刑再開、死刑制度の存廃論争、被害者感情というもの、被害者の人権と死刑確定囚の人権、死刑をめぐるダブルスタンダード」など、死刑制度問題の核心はほとんど網羅されている。死刑廃止の流れのなかで、日本だけが死刑存置の道のりをひたすら進もうとしているのはなぜなのか、死刑廃止の立場から問いなおす。
『死刑囚の記録』(加賀乙彦著、中公新書)は、『宣告』などの著作で小説家としても有名な著者が、1955年に東京拘置所の精神科医官となり、数多くの死刑囚と頻繁に面接し、ときには悩み事の相談相手となり、深くつきあった死刑囚の心理状態をつぶさに記録したもの。東京拘置所ゼロ番区の住人(死刑囚)の心理状態や死刑囚の生い立ち、事件の背景などを一人ひとり丁寧に検証していく。死刑囚は例外なく、迫りくる絞首刑、死の恐怖と闘っている。ある人は被害妄想になり、ある人間は嘘八百を並べながらも無罪を主張して、必死で「生」に望みをつなぐ。そのドキュメントを濃密に描く。そして最後にこう結ぶ。「死刑制度そのものについての法律学や刑罰学からの考察は、一切しなかった。(中略)ただ、私の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は廃止すべきだということである」。
『巣鴨プリズン』(小林弘忠著、中公新書)は、敗戦後、連合軍により巣鴨プリズンと名づけられた東京拘置所に「戦争犯罪人」として収容された戦犯の最期を看取った初代戦犯教誨師・花山信勝と東条英機をはじめとした戦犯たちとの苦渋にみちた記録。
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