凶悪犯罪の若年化、ひきこもりやフリーター人口の増大、携帯メールやネット中毒など、「いったい今の若者はどうなってしまったのか」という不安の声は、ここ数年増すばかりとなっている。このテーマの著者に精神医学の専門家が多いのも、何とかして若者の心の内を理解したい、という大人側の苦悩の現われだろう。
『青年期の心』(福島章著、講談社現代新書)の著者は精神医学専門の心理学者。青年期モラトリアム、依存と反抗、愛と性、アイデンティティ、気質、自己愛など、青年心理学の基本項目を押さえた入門書だが、1992年出版のため、青少年問題への具体的な言及もその時点までとなっている。
近年、問題視されているのが「ひきこもり」だが、この問題に長年関わってきたのが思春期・青年期の精神病理を専門とする斎藤環。『社会的ひきこもり』(PHP新書)では、これを単なる個人の病理ではなく、社会や家族を統合的に考えた「病理システム」として捉え直している。閉鎖的な状況のなかで悪循環を起こし、システムと化してしまうこのメカニズムをいかに解消していけるか、「実践編」では具体的な対処方針も示している。『17歳という病』(春日武彦著、文春新書)の著者も精神科医だが、かつて自分が若者だったときに抱いていた鬱屈感を苦々しく呼び起こし、したり顔で専門解説することはあえて避ける、という方法論を取る。詩や小説からの引用も多く、著者自身が文学青年であったことを偲ばせるが、クセのある文章に読者の好き嫌いが分かれるところだろう。
精神科医でも香山リカの『若者の法則』(岩波新書)は軽やかなエッセイふうで、「学校」「お金」「笑う」「化粧」といった51のキーワードから若者論を展開。同じ著者の『ぷちナショナリズム症候群』(中公新書ラクレ)では、愛子様ご誕生やW杯サッカー、日本語ブーム、祭りブームなど、「ニッポン大好き」とナショナリズムを屈託なく謳歌する最近の若者の心理に迫る。これらごく身近な話題から、エディプス神話の崩壊、分裂や解離の心理メカニズム、コスト感覚で割り切る現実主義的な新世代の論客、中間層の不満を吸収する愛国主義と、探り出している内容は奥深い。
『若者が「社会的弱者」に転落する』(宮本みち子、新書y)の著者は社会学者。今時の若者は、と安易にバッシングする風潮を退け、安定した生活基盤を持てない若者を崖っぷちに立たされた社会の弱者と捉える。親世代はリストラにあい、子供世代は就職できない、ゆえに自立できない、結婚もできない、という厳しい現状を見つめ、これを深刻な社会構造問題だとして警鐘を鳴らしている。最近流行りの「自己選択・自己責任」とは、要するに社会が責任を負わない巧妙なしくみであり、親も子もけっきょくは決定を先延ばしにして現実逃避をする、という指摘も鋭い。
『若者はなぜ「決められない」か』(長山靖生著、ちくま新書)では、400万人を突破したと言われる「フリーター」について考察。開業歯科医/文芸評論家というユニークな肩書きを持つ著者だが、本書の内容も夏目漱石の作品から近代日本の「高等遊民」や「仕事と道楽」を考察し、フリーターの言い分にも耳を傾け、自らの職業選択の体験を語ったりと、書き手の大らかな感性が伝わってくる1冊となっている。
『出会い系サイトと若者たち』(渋井哲也著、新書y)の著者は30代前半で、自らがネット世代に属す。携帯やネットの登場とともに、匿名性の出会い系サイトは一層の進展を遂げてきた。チャット依存症候群、ネット人格、ゲーム感覚、ネット恋愛と、その実態から現代の若者の心の動向が浮かび上がってくる。他者との関係性、コミュニケーションの変容という点からも、「新メディアと若者」は今や無視できない重要なテーマだ。
一方、『新エゴイズムの若者たち』(千石保著、PHP新書)の著者は昭和ヒトケタ世代。検事、総理府青少年対策本部参事官、日本青少年研究所所長、という経歴からも、若者に対して辛口であることは頷けよう。日本の若者の間でイデオロギー化した「自己決定主義」とはエゴイズムに他ならず、その価値観は法や道徳すらも飛び越えてしまった、と著者は嘆く。若者意識のアンケート調査では外国との比較もされるが、アンケートの設問自体や回答にも社会文化的違いがあるのは当然で、心の問題を単純に数字で比較できるのか、と気にかかる。
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