歴史を綴ることは優れて政治的なことであり、その人が自らの依って立つ時代や社会をどのように評価しているかによって、同じ過去の出来事であっても、その意味や重要性は様々に色彩を変える。明治維新を日本近代化の出発点と高く評価し、自らをその嫡流と自覚する歴史家の多かった時代には、江戸時代は否定されるべき過去として、維新の前に暗く漂っていた。その姿は正当客観的に綴られてきたとは言えず、歴史教育もその影響下にあった。が、戦後の60年代以降、江戸時代を再評価する流れが顕著になってきたという。維新の呪縛から離れて見た江戸時代とはどのような時代で、現代に生きる人々にどのような影響を及ぼしているのであろうか。
『江戸時代を考える : 徳川三百年の遺産』(辻達也著、中公新書)は、過去に否定的に捉えられてきた江戸時代を積極的に再評価し、その社会文化的遺産を高く評価する。第一章『「日本的」文化の形成』では、寿司、てんぷら、会席料理や歌舞伎、浮世絵、床の間のある座敷や仏間など、「日本的」と考えられている事柄について、その成立を江戸時代にみる。さらには、鎌倉期には異国のものだった禅が江戸時代には庶民の日常に根付いたり、日本的に変遷を遂げた儒教が江戸後期に庶民層に浸透し日本的道徳の基本となっていったりする過程を明らかにし、江戸時代を日本的文化の形成期と位置づけている。また、第二章「新しい国家の成長と展開」では、古代律令制国家のあとに続く鎌倉室町期には国家権力の空白期があり、江戸時代に全国を支配する新たな国家権力が形成されたとの史観に立ち、その成り立ちを検証する。この新しい国家こそが、日本的文化形成の背景にあったというのが、著者の主張である。第三章『「近代化」日本の基盤の形成』では、知識欲に溢れた民衆が登場し、文化が商品化され、知的市民社会が形成されていった過程を追い、日本近代化の基礎体力が江戸時代に醸成されていった事実を明らかにしている。
歴史書の多くは、政治史を中心に書かれている。が、『江戸時代』(大石慎三郎著、中公新書)は、政治史を脇におき、江戸時代を支えた社会の骨組みを、新田開発、身分社会の構築、都市開発、人口問題などの視点から明らかにしていく。著者は、江戸時代の特色を庶民の歴史が始まり、250年間戦争がなかったことと捉え、まず、土木工事と新田開発に注目する。明治維新前の用水土木工事は戦国時代から江戸時代初頭に集中しており、新田開発は江戸時代初期から中期にピークを迎える。結果、小農自立を生み、社会構成は劇的に変化するのである。江戸の都市計画を扱った章では、人口問題(男女比の不均衡など)に端を発する吉原の成立事情、大火のあとの都市再開発、下水道のなかった時代に糞尿が農業資源として卸仲買を通して流通していた事実や、ごみ処理の実態などに触れていて興味深い。
『江戸時代』(深谷克己著、岩波ジュニア新書)は、江戸幕府が開闢以降260年余にわたる長期の平和を実現した秘密を解明することを主眼に、江戸時代に迫る。乱世に疲弊した民衆だけでなく戦国大名にも「無事の世」(平和)を待望する世論があったことを前提に、幕藩体制に「徳川氏による平和という恩頼」という形式で、天下統治の枠組みを安定させる欲望が貫かれていたことや、支配層の武士を、戦国時代の「戦士」から文治の時代にふさわしい「官僚」に生まれ変わらせる努力が続けられたことなどを、指摘している。徳川時代の統治機構や様々な政治改革から、社会構造の変化や経済の発達、和風の定着や歌舞伎などの芸能文化など、広範なテーマを取り上げて江戸時代を描く本書は、この時代を教科書を読むように復習するには最適の書である。
『江戸時代』(北島正元著、岩波新書)は、民衆の生活を中心に、政治、経済、文化全般にわたり学問的成果と基本的事実を盛り込んでいる。『百姓の江戸時代』(田中圭一著、ちくま新書)は、圧政と年貢に苦しめられ辛酸の限りを尽くしていたとされる江戸時代の農民のイメージを払拭する好著だ。著者は「歴史の主役は百姓」といい、自らの所有地で自らの計算・計画によって田畑を経営していたことを、様々な資料をもって明示する。力をあわせて耕地を開き、広い家屋敷に住み、字を読み計算をし、諸国を旅し、立派な婚礼を挙げる、そんな元気な百姓の姿が描かれている。著者は、訴えによって奉行の首が飛ぶほど百姓に政治的発言力があったことや、厳しい身分制度と信じられていた時代にも、武士が商人になったり百姓が武士になったりという身分移動が散見されることなどを示し、江戸時代の農民理解に新風を吹き込んでいる。
|