ニーチェほど哲学徒に愛され続けている哲学者は類を見ないであろう。同時に、ニーチェほど「難解」と言われる哲学者もいまい。その理由は、ニーチェ研究の源泉である著書がアフォリズム(箴言)で表現されていて、論理的で系統だった論文で書かれていないうえに、その箴言同士がときとして相矛盾しているため解釈の幅が大きいこと、「神は死んだ」「一切は許される」「力への意志」といった、読み手の想像力を刺激する過激な表現に満ちていることなどと考えられる。結果、ニーチェの哲学について万人の納得する定説はなく、研究者の数だけの解釈があるため、ニーチェに関する著作は多い。
『ニーチェ入門』(竹田青嗣著、ちくま新書)には、その難解なニーチェの思想を、できう る限り分かり易く整理して解釈しようとする熱意が滲み出ている。ニーチェの著書を時系列に解説しつつ、「ルサンチマン」「ニヒリズム」「超人」「永劫回帰」「力への意志」といったニーチェ哲学の鍵概念を、ときに箇条書きを用いてまで整理する。竹田のニーチェ理解の特徴は、その驚くべきポジティブな解釈といえる。例えば竹田は「ニヒリズム」(近代合理主義による神の殺害のため、人が存在の根拠と意味を失った状態)を、未来の人間が生を肯定し開放する可能性を長い歴史の中で初めてつかんだ好機と解釈する。また、「永劫回帰」(世界には始まりも終りも目的も意味もなく、永遠運動する自動機械のようにただ単に存在しているに過ぎず、何をやっても一切は決定されていて、永遠に反復するとする考え)を、「真理」ではなく「問い」だと解釈し、快楽も苦悩も含め生の一切を肯定する「永劫回帰」を求めるか否かは、「人間の実存に極限の態度決定をつきつける」のだと主張する。
『これがニーチェだ』(永井均著、講談社現代新書)は、ニーチェに対する筆者の愛が溢れ 出た出色の作品である。「万人向けのニーチェなど存在しない」とする永井は、著書が自分独自のニーチェ理解であることをはっきりと断った上で、その難解な思想を独自の術語を用いて解説しつつ、ときにその思想の未熟を批判もしている。例えば、ニーチェは「事実は存在せず、存在するのは解釈のみである」と言うが、そう言った途端、その主張もまた、真理や事実なのではなく、ひとつの解釈に過ぎないという帰結に陥らざるを得ない。それを永井は「ニーチェ的認識は、それを語ることによって、その否定が示されてしまう、といった側面を持つ」と言い、「言語を携えたまま、その内外に自由に出入りできると思うのは哲学的に幼稚だ」と批判するのである。しかし永井は、それまで誰も問わなかったことを問い続けたと、ニーチェを最大に評価し愛している。竹田がニーチェを分かり易く整理し伝えようとしたのに対し、永井は難解なニーチェを難解なまま、ときには疑問点や複数の解釈の可能性を提示しながら、永井のニーチェとして伝えようとするのである。
『ニーチェ』(三島憲一著、岩波新書)は、ニーチェが影響を受けた時代の背景と、学問的成功や失敗、ワーグナーなどとの交友関係、恋愛失恋体験などニーチェの個人史を詳細にたどり、その連関の中でニーチェの著作や思想を読み解いていく。また、『ニーチェ: その思想と実存の解明』(藤田健治著、中公新書)は、カントに始まりヘーゲルに究極した ドイツ観念論の発展とその後の反ヘーゲル哲学の動向という哲学史の流れの中でニーチェを理解し、その思想を発展過程において捉えようと試みる。
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