意外なことに「ジャーナリズム」という言葉を使って、その実態を解説する新書は驚くほど少ない。かといって、それについて語る新書が少ないわけではない。「ジャーナリズム」は「メディア」という言葉にとって代わられていて、それが、現代日本で「ジャーナリズム」がおかれている状況をよく示している。ひとことで言えば、信頼されていない、のである。
『メディアのからくり』(保岡裕之著、ベスト新書)や『テレビ報道の正しい見方』(草野厚著、PHP新書)は、メディアが発信する情報に懐疑的な立場から、その情報を鵜呑みにする危険性を警告している。前者は「9・11」以後、政権に批判的な情報や論評を発信できなくなったアメリカのジャーナリズムの限界を例にあげ、戦時下では客観報道などありえないことを具体的に指摘している。日本の戦時下の言論統制、オリンピック報道などにも検証のメスを入れる。後者は日本のニュース番組とドキュメンタリーの検証から、公平と中立を装う報道が、いかに恣意的に作られているかを具体的に告発している。事例にあげられているのは、最初に結論があって、それに都合のいい事実だけを編集するドキュメンタリーの手法や、局によって伝えられ方が大きく変わる「客観報道」の実態である。問題となるのは主張の有無ではなく、主張がありながら、それを隠して「客観報道」を装うありかたである。結論として著者が強調しているのは、どちらもメディア・リテラシー(メディアを理解すること)の重要性である。『メディア・リテラシー』(菅谷明子著、岩波新書)は、アメリカ、イギリス、カナダのメディア・リテラシーへの取り組みを詳しく紹介している。
『総理大臣とメディア』(石澤靖治著、文春新書)は、政治ジャーナリズムを素材にしながら、現代のジャーナリズムの状況を端的に表現している名著だ。前半は田中真紀子、鈴木宗男、辻元清美、そして小泉純一郎ら、ワイドショー政治家と呼ばれる人々がメディア戦略で、どう成功し、どう失敗したかを政治家の側から検証するのだが、それが、ネガフィルムの役割を果たしてジャーナリズムの姿を写し出している。さらに、「ナベツネ」「シマゲジ」ら、政界のフィクサーとして暗躍したかつての政治記者の実態も描かれている。『大統領とメディア』という先行して書いた姉妹書もあり、米国大統領と米メディアとの攻防が興味深い。
『ジャーナリズムの思想』(原寿雄著、岩波新書)は、記者の職業意識の低さや、皇室報道にみられる自己規制・自己検閲の習慣化、判断停止の「不偏不党」、テレビの視聴率主義など、日本のジャーナリズムが内包する諸問題を網羅的に指摘している。内容は、「ジャーナリズムの無思想」とでも呼ぶべきものである。現代の戦争は、報道されることによって始まると指摘する『戦争報道』(武田徹著、ちくま新書)も、読んでおきたい。
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