体格や肌や髪の毛の色、顔形まで、外見上はほとんど見分けがつかない韓国人と日本人だが、ものの考え方や行動規範、価値観は随分違う。隣国同士でお互いは似ているという思い込みがあるため、誤解している部分も多く、それが、相互理解がすすまない原因でもある。いったい、韓国人と日本人はどのように違い、その違いは何に由来しているのであろうか。
『韓国人とつきあう法』(大崎正瑠著、ちくま新書)は、第2章で韓国人と日本人の違いを詳細に検討している。たとえば--<韓国では孝を重視し、日本では忠が重視される。仕事のために親の死に目に会わないということは日本では美談となるが、韓国では考えられない><日本人は過去を水に流すが、先祖を大切にする韓国では過去と現在はひと続きであり、過去を水に流すことは祖先への忘恩となる><日本人は相手との対立を避け、対立は決別を意味するが、韓国人は相手とぶつかり合うことで理解しあう><韓国人は議論好きで日本人は以心伝心を好む><あいまいな日本人に対し、韓国人は何事もはっきりさせる><韓国人は感情を発散させ、日本人は抑えつける><韓国人は名をとり、日本人は実をとる><学びたがる日本人と教えたがる韓国人><淡白な日本、しつこい韓国>などなどである。その価値観や行動規範の違いはどこから来ているのか。著者は地形の違い、宗教の違いなどが、両民族の差異の根源にあることを示唆する。日本は島国で外国からの攻撃の心配は少なかったが、山岳地に寸断された国土の統一は難しく、群雄が割拠する武家社会を発達させ、それが「ご法度の文化」「畏まりの文化」「緊張の文化」を生んだとする。一方の中国と陸続きの朝鮮半島は、絶えず軍事的な脅威に晒され、異民族からの侵略を余儀なくされてきた。軍事的挫折を通じて、武より文を重んじる傾向が顕著になり、「一元的文化」「学識重視」「自然自由好み」「人情味の厚さ」などをもたらした。さらに、韓国が儒教(朱子学)を要とした宗教国家であるのに対し、日本は宗教が人々の行動の規範となっていない点で無宗教国家である。こうした文化的土壌の違いが、価値観や行動規範の違いに体現されているというのである。
『韓国は一個の哲学である : <理>と<気>の社会システム』『韓国人のしくみ : 「理」と「気」で読み解く文化と社会』(いずれも小倉紀像藏著、講談社現代新書)の2冊は、韓国人の行動規範を、「理と気」の理論で「解明した」書である。理気は朱子によって集大成された朱子学の術語である。それを単純化して、小倉は「理」を道徳性(倫理、道徳、理論、真理など)、「気」を物質・身体性(肉体、欲望、本能、感情など)とし、その仕組みを知れば、韓国人は理解できる、というのである。人間は理と気でできていて、性善説に立つ朱子学では人間はみな完璧な理を持つが、気が濁ることで理も曇る。理がクリアな人がよい人で、曇っている人はだめな人である。そして、韓国人は何よりも「理」を重視する道徳志向性が強い(道徳的ということではない)。理は真理であり規範であり、理を多く持ったものが権力と富を得、理の多寡で人間の序列が一元的につけられるのが韓国社会であるという。
韓国人理解の糸口とするために、日本人との比較が随所に示されているが、そこが興味深い。たとえば--、「日本のドラマでは恋人たちは『なんとなくあなたとはやっていけそうもないの』とつぶやいて別れるが、韓国のドラマでは『あなたは道徳的に間違っており、その不道徳が私の道徳性を傷つける』と理屈をまくし立てて別れる」「道徳のイメージは日本では保守だが、韓国では革新である」「日本には同じ分野でも日本一が何人もいるが、韓国では一番は一人しかいない」「日本ではインテリは弱く、韓国ではインテリは強い」「韓国では言葉は戦う道具で刀は戦いを回避する道具だが、日本ではその反対」。
『韓国は一個の哲学である』では、韓国人理解の理論を説明し、『韓国人のしくみ』では、なぜ、金大中と対面した金正日が、一瞬のうちに韓国で人気を得たかなど具体的な事象を、日韓の違いを織り交ぜながら説明している。
『馬を食べる日本人犬を食べる韓国人』(鄭銀淑著、ふたばらいふ新書)は、日韓を行き来している韓国人女性の著者が、両国の誤解を指摘する。
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