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かつて「読書人」という言葉は「知識人」「教養のある人」という意味だった。本を読むことがその人の属性を示した。また、「立身出世」が多くの人の夢や目標である時代においては、読書はそのためのツールでもあり得た。しかし、いまや本も読書もそのような特権的地位にはない。多くの本は大衆のためのものであり、娯楽のためのものである。
『読書を楽しもう』(岩波書店編集部編 ,岩波ジュニア新書)は青少年に向けた読書案内。本を読むことが階級上昇やより快適な生活を享受することと結びつかなくなった時代に、青少年に読書の意義を説くことがいかに難しいかを本書は示している。「楽しもう」といったところで、本よりも魅力的なものが溢れるいま、読書でしか得られないものをどう伝えるのか。『「反」読書法 』(山内昌之著,講談社現代新書)は、義務感や教養から読書を解放し、読書をすすめるという、一見パラドクシカルな本である。しかし、本を読まない人に読書をすすめるとしたら、もうこういう形でしかあり得ないと思わせる。読書はあまりに窮屈なものになってしまったから。
私たちはつい本は不変のものと思いがちだが、しかし古代から現在までの間に大きな変化を遂げてきた。いま電子メディア時代のなかで、本と読書はさらに変化しようとしている。『本の未来はどうなるか : 新しい記憶技術の時代へ』(歌田明弘著, 中公新書)と『新・本とつきあう法 : 活字本から電子本まで』(津野海太郎著,中公新書)は、そうした変化を意識しつつ書かれたもの。読書は変わりゆくものという大前提がある。
『ミステリーの社会学 : 近代的「気晴らし」の条件』(高橋哲雄著,中公新書)は、近代の成立および都市の成立によって中産階級の娯楽としての読書がどのように誕生したかを追った本。だが、「気晴らし」というキーワードは現在も有効だろう。
『読書と社会科学』(内田義彦著,岩波新書)は社会科学的研究をする際のツールとしての本について、その扱い方を説く。社会科学において読書とはたんに参考文献を調べるだけでなく、対象にアプローチするときの概念を形成するものである、と著者はいう。
『老人読書日記』(新藤兼人著、岩波新書 )は老映画監督の読書エッセイ。経験豊かな人の読書は、青春の読書とはまた違った滋味があることがわかる。本を楽しむことにかけては大名人である椎名誠の『活字博物誌』 (岩波新書 )と併せて読むとますます興味深い。
『指と耳で読む : 日本点字図書館と私』(本間一夫著、岩波新書 )は、5歳で失明した著者が、点字で読書の喜びを知り、同時に点訳された本があまりにも少ないことから点字図書館を設立した。出版産業関係者をふくめ、多くの人が、視覚障害者の存在を考えずに本を語り読書を語るが、本書を読むとまさに虚を突かれた思いである。
『古代アレクサンドリア図書館 : よみがえる知の宝庫』(モスタファ・エル=アバディ著 ; 松本慎二訳,中公新書)は紀元前3世紀に存在した蔵書数50万冊の大図書館の運命を語る。本の歴史は文明の歴史でもある。
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