国民一人当たりの年間摂取量こそ、戦前の半分程度になっているとはいえ、米が日本人の主食であることは、太古の昔から変わらない。今でこそ、米余りが言われるが、ちょっと前までは腹いっぱい「銀シャリ」を食べられることが、庶民の最大の幸福だったのである。日本の米には歴史がある。そして、現在では、国際化の進んだ世界の中でさまざまな困難にも直面している。
稲作はどこで発祥しどのように日本列島に伝えられたのか。『稲作の起源を探る』(藤原宏志著、岩波新書)は、農学者がプラント・オパール法という新しい分析技術を駆使して米の歴史に挑んだ記録の著である。世界最古とされる中国長江デルタの水田址の発見経過を報告、弥生時代の農耕を復元し、さらには縄文農耕の可能性を論じる。『日本の米:環境と文化はかく作られた』(富山和子著、中公新書)は、稲作を通して日本の歴史を検証する。日本の山河は、稲作とそれに不可欠な治水に立ち向かった祖先の努力の結晶であり、水も森林も古墳も、さらには現代人の特質も、すべては米文化の所産であると著者は説く。
米といえばコシヒカリである、といっても過言ではないほど、コシヒカリの人気は根強い。『コシヒカリ物語:日本一うまい米の誕生』(酒井義昭著、中公新書)は、そのコシヒカリ誕生の秘話を掘り起こした渾身のノンフィクションである。コシヒカリは、美味しいコメを目指して品種改良されたのではない。食糧難の時代にイモチ病に強い新品種を作る過程で生まれたが、イモチ病には弱い欠陥品種だったという。それが、実験室のゴミ箱の中に葬られる危機を何度も乗り越え、数々の厳しい審査をクリアして、農家の耕作種として生き残ったのはなぜか。そこには、戦争や天災、そして農水省の人事や研究所間や地域間の競争といった人間臭いドラマ、さらには新潟県魚沼地区の地域事情などが生み出した数々の偶然があり、どの一つが欠けても日本一うまい米は誕生していなかった。そのドラマを丁寧に取材した本書は、良質のミステリーに勝るとも劣らないエキサイティングな著である。
現代の日本の米と農家は、大変な危機に直面している。後継者不足に内外価格差による輸入農産物との競争力の低下、自由貿易を標榜するアメリカを中心とする海外諸国からの農業保護撤廃の圧力などが、それである。『コメを考える』(祖田修著、岩波新書)は、コメの自由化を推進する人々による農政や日本農業に対する批判に、実証的に反論を加え、安易な自由化論に警鐘を鳴らす。最大の批判は10倍とも言われる内外価格差で、自由化論者は輸入米によって消費者は恩恵を受けるとする。が、著者は、10倍の根拠の脆弱さを指摘した上で、大規模農場が主体のアメリカの農産物は天候により収穫が安定せず、価格も不安定であり、恒久的に安いコメが供給され続ける保証はないと警告している。さらには、稲作には食糧供給だけではなく、国土保全や環境保全に果たす役割や、社会の安定性や人間性の維持、福祉や教育における社会的文化的な役割も大きいと説く。『日本の農業』(原剛著、岩波新書)は、ジャーナリストが各地の農民を取材し、市場開放、食管制度の変貌、環境汚染など、日本の農政の実態を現場から報告し、新しい農業の可能性を見通す。また、『わが農業革命:世界一安い米づくりに挑む』(兼坂祐著、中公新書)は、自由化という外圧と闘うため、跡取りのいない農家の水田を集めて一人の専業農家に経営させてコストのかからない農場経営に取り組んできた著者が記した、安いコメ作り挑戦の記録である。
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