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戦国時代の3人の天下人、信長、秀吉、家康のうち、ビジネス本で群を抜いてもてはやされているのは、徳川家康である。志半ばで部下の反逆にあった信長や栄華を2代目に引き継ぎそこなった秀吉に対し、下積みやナンバー2の時代を辛抱強く耐え、260年余にわたる政権基盤を築いた手腕が、企業戦士に評価されるのであろう。という訳で、家康に関する新書も新刊後を絶たずかと思えば、さにあらず。思いのほか少ない。教訓を語るビジネス本には格好の材料だが、その個人史に謎は少なく研究もすすんでいるため、あまり新書には向かないようなのである。
『徳川家康 : 組織者の肖像』(北島正元著、中公新書)は、家康ものの定番。1963年の初版ながら、51刷を重ね読み継がれている。内容はとてもオーソドックスな人物伝である。家康の生涯を詳細に追いつつ、様々な事件の要因を解説することで、家康その人だけでなく、当時の社会情勢や戦国侍の価値観、倫理観などが説明されていく。真面目な本で、読者サービスに乏しく、事実と背景説明が積み重ねられていくため、そこからどのような人物像を思い浮かべるかは、読者の想像力に委ねられている。著者はあとがきで、一般には高く評価されている「家康がもたらした幕藩体制の平和」の実態を、全人口の7%にすぎない武士階級が80%以上の民衆を、愚民観によって専制的に支配することによって維持された平和だった、と批判している。
『徳川家康』(二木謙一著、ちくま新書)は、家臣の生活と領国の安全を守る義務と責任を負っていた戦国武将としての家康の生涯を描く。苦難を踏み台として、未熟な頑固者だった20代、信長の下で薄氷を踏む思いで懸命に生きた30代、秀吉に辛酸を嘗めさせられながら実力をつけた40代、50代、最高権力者にのぼりつめた60代と、年齢を重ねるごとに別人のように変身を遂げたところに、著者は家康の魅力を見出す。大名、将軍、大御所として様々な事件に直面した家康の決断や選択、政治外交の施策を、ドキュメンタリーの形で年次を追って描いている。
家康といえば関ケ原である。この戦いを制した家康は武家の棟梁の地位をゆるぎなきものとして、幕府を開き天下に君臨する。が、その実は、普通に信じられている姿とは随分違ったようである。
『関ケ原合戦 : 家康の戦略と幕藩体制』(笠谷和比古著、講談社選書メチエ)は、刻々と変わる関ケ原の戦況を実況しながら、関ケ原の実態と徳川政権誕生に連なる関ケ原の意味を明らかにする。家康の世子秀忠の遅参は有名だが、東軍(徳川側)の戦力構成を詳細に分析した著者はこの遅参を重視する。即ち、遅参が関ケ原以後の政権構想と政権の実態に大きな影を落したのだと。徳川軍の主力は秀忠が率いていて家康には守備隊しかいなかったために、東軍の主力は反石田三成・反淀殿の豊臣系武将で占められた。結果、戦勝で得た領地の大半は豊臣恩顧の大名に振り分けられたため、関ケ原後も豊臣を主家と仰ぐ大名が一大勢力となって温存された。秀頼復権の芽は残されたままで、家康は軍事的には勝利したが、政治的に勝利したといえるかどうかは疑問だ、というのが著者の立場なのである。著者は通説を排し、幕府開闢後の政体を、豊臣家と幕府による二重公儀(政府)体制であったと見ている。ここに、大坂の陣の必然があったのであり、名実を伴う徳川支配が完成するには、豊臣家の滅亡を待たなければならなかった、というのである。
『関ケ原合戦 : 戦国のいちばん長い日』(二木謙一著、中公新書)は、時々刻々と関ケ原の一日を追う。家康の覇権確立への戦略を軸に、武将たちの権力闘争の実態を追究し、野望渦巻く東西両軍の人間模様を描く。『大坂の陣 : 証言・史上最大の攻防戦』(二木謙一著、中公新書)は、冬の陣から夏の陣まで半年間の攻防を、目撃者の証言から再現する。
家康とはどのような人物だったのか。歴史上の人物像は、史家や作家の想像力によって作られざるを得ない。『徳川三代のトラウマ』(瀬戸環, 中野元著、宝島社新書)は、家康、秀忠、家光と続く徳川三代の心理分析を試みる。第一に俎上に載せられた家康は、幼年期の人質生活がトラウマになっている、とされる。人質の身のまま家格の高い高慢な年上の女性と結婚したため妻に頭が上がらず、ロリータコンプレックスで女性を愛せない人間となった。また、ストックホルム症候群(監禁されたりした被害者が、長い拘禁の間に加害者に共感をもってしまう症状)により、今川義元や信長、秀吉に心酔していたと、本書は分析している。残念なことに、誤植が後を絶たず、信頼性を傷つけている。
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