「音楽」とは何だろう。リズムやメロディーがあれば音楽なのだろうか。時間芸術なのか、エンターテインメントなのか、という問題もある。再生機器の驚くべき発展の恩恵を受ける今、改めて音楽の豊かさ、美しさを考えてみるのも面白い。
『音楽ジャンルって何だろう』(みつとみ俊郎著、新潮選書)は、クラシックからジャズやロック、果ては波の音や鳥の鳴き声などの環境音楽までを最大公約数的に定義づけようという試みだ。クラシック音楽とポップスの境界線は、一体どこにあるのだろう。バッハのほとんどの作品は彼の勤め先の教会の儀式用の音楽だったし、サティのピアノ曲の中には商業的な目的で書かれたものもある。ハード・ロックやヘビー・メタル、グランジなど限りなく細分化してゆくロックの変容ぶり、東西の調和が魅力のアジアン・ポップス、映画監督と作曲家の親密さ——「音楽」という言葉で示される広大な世界が一冊に収められている。
音楽ジャンルの一つであるクラシックの20世紀における流れを俯瞰するのは、『20世紀音楽——クラシックの運命』(宮下誠著、光文社新書)。19世紀的な音楽の解体を試みたワーグナーから始まり、印象主義のドビュッシー、ラヴェルらを経て、シェーンベルクやヴェーベルン、ブゾーニ、ノーノと20世紀に活躍した作曲家たちを紹介する。それぞれの作曲家の試みと楽曲紹介を読むうちに、時代が浮かび上がってくる。巻末には音盤紹介もあり、クラシック中級者を自任する人がもう一ランク上を目指すために役立つだろう。
クラシック上級者向けとしては『丸山眞男 音楽の対話』(中野雄著、文春新書)を薦めたい。戦後日本の思想に大きな影響を与えた思想史家、丸山眞男がいかに音楽を愛好し、深く音楽と向き合ったかを追った魅力的な評伝である。著者は丸山に師事し、自宅にも度々訪れて音楽談義を楽しんだ。愛用のオーディオ機器の詳細や丹念な書き込みのある総譜に驚くのは早い。バッハの「シャコンヌ」の自筆譜から繰り広げられる会話の豊かさ、フルトヴェングラーへの傾倒など、音楽研究家としても一級だった実像が明らかにされる。丸山を「偲ぶ会」でシャコンヌが演奏されたエピソードも感動的である。
『音楽のヨーロッパ史』(上尾信也著、講談社現代新書)は、今日の問題意識から一気に古代にまで遡って音楽の根源を考える。民族主義の時代に各国で国歌が採用され、第二次世界大戦中や戦後に、戦意高揚や戦死者哀悼のために数々の作品が作曲された事実は、私たちに音楽の持つ魔の部分を感じさせる。古代から音楽がどう利用されてきたかを、豊富な史料でビジュアルに解き明かす。
ジャンル分けの難しい分野の音楽の一つに「ワールド・ミュージック」があるが、『世界の音を訪ねる——音の錬金術師の旅日記』(久保田麻琴著、岩波新書)は、ミュージシャンであり音楽プロデューサーである著者が、ブラジルやモロッコ、スリランカなどを旅し、各地の音楽に触れる旅を綴った。音楽そのものを言葉にするもどかしさはあるものの、その土地の空気や熱、人々の表情が伝わってくる。人が音楽なしに生きていけないことが、しみじみと感じられる。付録CD付き。
『音の風景とは何か——サウンドスケープの社会誌』(山岸美保・山岸健著、NHKブックス)は、「音の世界」をさらに広げて考察。音楽は楽器によって演奏される音だけではなく、生活のさまざまな場面で立ち現れてくる。環境庁(当時)が募った「日本の音風景百選」には、せみ時雨や渓流のせせらぎ、祭の太鼓、鐘の音など自然と人間の両方の音が選ばれた。レイチェル・カーソンは自然に耳を傾け、「沈黙の春」に警鐘を鳴らした。視覚情報中心になりがちな現代、耳を澄ませることの大切さを多面的に説く。
少し軽めな音楽エッセイを楽しみたい人には『音楽ライターが、書けなかった話』(神舘和典著、新潮選書)を。インタビューに遅刻してくるハービー・ハンコック、坂本龍一の映画出演のときの音楽秘話など、アーティストたちの素顔が興味深い。