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新書で考える「いま」

編集部がおすすめする一冊を中心に「いま」を考えてみる。

2024/09/30

第202回 『ことばが変われば社会が変わる』

「ご主人・奥さん」から「夫さん・妻さん」へ?

日本語で、結婚した女性が自分の配偶者を呼ぶ名称は、「主人」「旦那」「亭主」「夫」「つれあい」「パートナー」といくつかある。このなかで、「主人」や「旦那」は、平等であるべき夫婦間で、主従関係や家制度の名残を感じさせるとして、使わない、使いたくない、という人が増えている。男性が自分の配偶者を呼ぶ場合に使う「嫁」や「家内」という呼び方も同様の理由から使わない人もいる。
しかし、他人の配偶者を呼ぶ場合、例えば、「向こうにいるのがうちの夫です。」知人にこう言われたらどうするか。「ああ、あなたの夫なのですね」とは返しづらいのではないだろうか。「あなたの夫」という言葉は、なぜか日本語としてやや丁寧さに欠ける印象があり、会話ではできれば避けたい。かといって、「夫」を選んで使っている人に、「旦那さま」や「ご主人」を使ってよいものだろうか。他人の配偶者の呼び名、その正解はあるのだろうか。
他人の配偶者の呼び方として、新しい選択肢に、「夫さん・妻さん」というものが増えているらしい。実際にSNSで使っている人も目にするし、ドラマの台詞でも聞くようになった。
今はまだ完全に定着しているとはいえず、私自身も「あちらがあなたの夫さんですね」という言葉は、自然には出てこない。この呼び名がなぜ登場したのか。はたしてこれから定着するのだろうか。

古くて新しい「夫さん」呼び

ことばが変われば社会が変わる』(中村桃子著、ちくまプリマー新書)では、言語学者から見た、「言葉が変わることで変化する社会の見方」を紹介している。
本書で著者は、「多くの人が変えたいと思いながら変えられない」言葉の例として、「他人の配偶者の呼び方」問題をあげている。
文化庁が1999年に発表した「国語に関する世論調査」の報告書では、「他人に対して自分のパートナーを指す呼び名」について、既婚女性の74.6%が「主人」を使用し、既婚男性の51.1%が「家内」を使用していると記されている。その24年後、2023年の「日経2023年調査」では、同様の質問について、女性の51. 9%が「夫」、男性の35.6%が「妻」を使用していると答えている。この24年で、自分のパートナーに使う呼称は「主人・家内」から「夫・妻」へと大きく様変わりした。著者は、「多くの人が、主従関係や家制度と結びついた呼び名(主人・家内)を使わなくなっているのではないか」としている。
2023年の調査では53.3%の人が他人の男性配偶者を「旦那さん・旦那様」と呼び、84.7%の人が他人の女性配偶者を「奥さん・奥様」と呼んでいる。自分のパートナーを「主人・家内」から「夫・妻」と呼び変えた人でも、他人のパートナーは「旦那さん/奥さん」と呼んでいる。
「主人や旦那といった主従関係を含んだ表現には違和感がある」という気持ちと、「他人のパートナーは丁寧に呼ぶ」という日本語のルールが衝突した結果、他に丁寧な呼び方が思いつかないため、「ご主人/旦那さん」や「奥様」という呼び名を選ぶ人がまだ多いのでは、と著者は指摘する。
じつは、「夫さん」「おつれあい」「おつれあい様」など、主従関係を表さない「新しい」呼び名は、50年前から繰り返し提案されているという。しかしいまだに定着しているとは言えない。

言葉が生まれたことで「見方」が変わる

言葉が生まれたことで社会の見方が変わることも起きる。例えば、「セクハラ(セクシャル・ハラスメント)」という言葉は1980年代以降に普及し、2024年現在ではほとんどの人がこの言葉を知っている。もちろん、この言葉が使われる以前にそうした問題が「なかった」わけではない。
しかし、「セクハラ」という言葉が普及したことで、被害を受けている側が、自分の身に起こっていることを理解し、「これはセクハラです、やめてください」と言えるようになった。深刻な犯罪という認識が広がり、被害者が裁判に訴え始め、全国でセクシュアル・ハラスメント裁判が続々と起こされた。雇用側に、「セクハラ」を防止し、適切に対処することを義務付けるような法改正も行われている。
「セクハラ」という言葉が普及していく過程には、「セクハラ」を、「性的嫌がらせという犯罪」ととらえず、「仕事ができないやつが大げさに言うこと」「女性にも責任がある」などと被害者側の問題にすり替えようとしたり、「たいしたことではない、むしろ喜ぶべきこと」などと軽くみなすかのような動きもあった。それでも、「セクハラ」という言葉が定着したことで、「職場の権力関係」の問題が見直され、「パワハラ(パワー・ハラスメント)」や、「アカハラ(アカデミック・ハラスメント)」など、“権力関係を利用した嫌がらせ”を理解する言葉が次々と使われるようになっていった。
社会の変化に伴いことばが変わり、定着するまでにはさまざまな抵抗もあり、時間がかかる。「他人のパートナーの呼び名問題」がなかなか解決しないのはそれだけではない。著者の中村氏は、「正しい日本語」を使いたい、「正解を誰かに決めてほしい」、という姿勢が、新しい呼び名の普及を妨げているのでは、とも指摘する。
結婚の形も多様化して、パートナーの形自体が多様化している現代、正解をひとつに決めることはつまらない。社会にさまざまなパートナー関係があるということは、複数の呼び名がある、そう考えて使い分けを楽しめばいいのでは、と中村氏は提案している。

(編集部)

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