ある事情通によると、独身女性の三人に一人は不倫経験者なのだそうだ。事実かどうかはともかく、それほど、不倫は現代日本社会で、日常の出来事と化している。あなたの隣にいる誰かに、不倫の恋を打ち明けられて腰を抜かす人はいまい。退屈な日常を生きている現代人にとって、不倫という禁断の木の実には、どこか甘い香りすら漂っている。が、不倫はそれほど甘美なのであろうか。不倫とは、本当のところ、どのような事態なのであろうか。
不倫と言えば、きこえはいいが、一歩間違うと泥沼である。甘い香りなど、一瞬のうちに消し飛んでしまう。かつては、それを不義と呼び、密通と糾弾された。江戸時代なら命懸けである。時代が明治に替わっても、旧刑法下で不義、密通は犯罪であったが、突き上げる衝動を抑えられず、姦通の底なし沼に足を取られた男女は数知れない。なかでも、文士と呼ばれた人々のそれは、当時のゴシップ誌や本人や関係者の手による「私小説」に詳しく描かれ、真相が記録されている。
『文士と姦通』(川西政明著、集英社新書)は、文芸編集者から文芸評論家となった著者による、文豪たちの命懸けの姦通を記録した好著である。ある文士は密通のため監獄の人となり、ある文豪は、不義を犯した妻を友人に譲る。不義の愛にからめとられたそれぞれの生き様は、まさに、壮絶としか形容の仕様がない。
姦通事件で投獄され相手の人妻と結婚した挙句、密通に走った妻と離縁した北原白秋、北原の投獄に衝撃を受け、密通の相手から逃避し、ついには自殺した芥川龍之介、妻譲渡事件の谷崎潤一郎、不義の恋を重ねて生き生きと生きた宇野千代、情夫と夫の三人で暮らした岡本かの子、姪を妊娠させパリへ逃げた島崎藤村--それぞれの恋は甘美な不倫などとは程遠い人生のすべてをかけた地獄絵であり、そのエネルギーが彼らを文士に育てた一面を、著者は生々しく描写している。
刑法の姦通罪が廃止された現代でも、不倫が不法行為であることに変わりはない。投獄されることはなくても、民法上の制裁は大きく、宴のあとには、冷酷な現実が待っている。不倫は甘美なだけではないのである。『不倫のリーガル・レッスン』(日野いつみ著、新潮新書)は、不倫に走る前にコストパフォーマンスを冷静に考えてみては、と、弁護士が不倫のつけの現実を紹介する。不倫が原因で結婚生活が破綻した場合には、高額な慰謝料を請求される。こじれた場合は、家裁の調停・裁判と、精神的にも時間的にも苦痛をともなう事後処理が待っている。裁判や弁護士費用もバカにならない。読めば読むほど、不倫の恐ろしさが身にしみる。が、だからと言ってやめられないのが人間の愚ではあろう。『慰謝料法廷』(大堀昭二著、文春新書)も類著。男女をめぐるさまざまなトラブルファイルには、不倫の全容と、解決への経過と結果、弁護士費用などが詳しく記されている。