日本の近代建築の歴史は、開国とともに訪れた。日本が200年あまりの長い鎖国を終え、安政元年(1854)に国を開いた時、欧米の貿易商人たちが、長崎をはじめとする開港場に上陸してきた。かれらは、貿易で上げた利益をつぎ込み、自分たちの住む町を外国のように整えていった。こうして日本に移入された西洋風近代建築は、明治政府の近代化政策とともに数多くの作品を生みだしていく。『日本の近代建築(上、下)』(藤森照信著、岩波新書)は、明治以後の日本の建築史。上巻では、幕末の居留地の西洋館から和洋折衷の洋館、御雇建築家による本格建築を経て、日本人建築家が誕生するまでを、下巻では、転換期を迎えた大正時代、モダニズムが花開き、ファシズムの試練を経て、現代へと連なる昭和期を描く。
その近代建築を支える都市の骨格ともいえるのが土木構造物だ。鉄道、道路、橋梁、水路など東京には明治以降の土木遺構が数多く眠っている。現存する近代土木構造物の機能とデザインの秘密を探り、東京の都市構造と意味内容を探っているのが、『東京再発見:土木遺産は語る』(伊東孝著、岩波新書)である。 本書は、近代土木構築物の機能とデザインを通して、東京の都市構造と意味を探ろうとしている。『近代化遺産を歩く:カラー版』(増田彰久著、中公新書)は、北海道から九州まで、各地に残された歴史的な近代化遺産を多数のカラー写真とともに紹介している。
では、近代以前の日本の建築物はどうであったのか。その日本建築の特徴を「人のいる雰囲気(人のいぶき)」というキーワードで再評価しているのが『日本の名建築をあるく:雰囲気の美学』(相川浩著、ちくま新書)。著者は、日本古来の建築は、近代建築を学んで欧米型の理論で建築を見るようになった現代の日本人とは違う感覚で理解する必要があるのではないかと主張する。たとえば、日本特有の侘び、寂びを表現している「茶室」は、視覚では捉えきれない残像や連想が生みだす印象というものが大きな要素となっているが、この点は、西洋建築流の左右対称、中心軸、比例といった考え方では理解できないという。このような西洋建築とは対極的な日本建築の味わいを「雰囲気」という視点で捉え、法隆寺、東大寺、厳島神社など日本古来の建築物を見て歩く。
宗教はその性格上、壮大な建築物を必要とする。今も昔も宗教は建築の最大のパトロンのひとつである。現代の新宗教と建築物との関係という視点で書かれたのが『新宗教と巨大建築』(五十嵐太郎著、講談社現代新書)。天理、大本、金光、PL、創価学会などが構築した巨大建築物を概観することで、新宗教の空間の考察まで言及している。
デザイン様式やスタイルなどがめまぐるしく変化する現代の建築の世界について、哲学的な観点からとらえ、現代における「建築とは何か」という問いに答えようと試みたのが『新・建築入門:思想と歴史』(隈研吾著、ちくま新書)。本書では、20世紀末の建築状況の背後には、建築という制度そのものを否定するムーブメントがある、建築を構成する物質的なものと非物質的なものが等価であるという状況が出現していると指摘する。一例として閉所恐怖症の患者のために考案されたビルを「建築作品」として捉える試みや、さらには、テレビモニター、ヘルメットの内部に映し出されるヴァーチャルリアリティの世界などをもって「すべては建築である」とする議論があることを紹介。全体として建築様式の流れとその背後にある思想をたどりながら、新しい建築の方法論はあるのか、その可能性を探っている。
『天下無双の建築学入門』(藤森照信著、ちくま新書)は、「なぜ天井があるのか?」「塀は要るか」「便所にアサガオを復活させるべし」など、身近な建物の構造から説く建築学のユニークな入門書となっている。