テーマで探す新書ガイド 新書マップ BOOK MAP web magazine [ 風 KAZE ]
>>新書マップ検索画面へ戻る
テーマ Theme
テーマ Theme
オタク文化
日本が世界に誇る「アニメ」「まんが」「ゲーム」「キャラクター」「フィギュア」は産業なのか、文化なのか。それらを支える、もはや若者だけではなくなった「オタク」とは何なのか。
関連書籍を探す
読書ガイド
「オタク」という言葉は、オタクに関心のある人とあまり関心のない人では、随分、違う意味で使われている。関心のない多くの人々は、オタクというと変なこと(アニメとかコミックとかフィギュアとかロリコンとか)に異常な興味と知識を持っていて、かつ、その世界にとっぷりと浸かってしまい、世事には興味が薄く他者とのコミュニケーションをとるのが苦手な人々、という風に思っているのではなかろうか。しかし、オタクやオタク研究家(オタクの人が多い)の中には、オタクとは進化した視覚を持つ人間であり、高度消費社会の文化状況に対応した「ニュータイプ」であると言ったり、オタクを21世紀の文化の旗手であると評価したりする人もいるほどで、「オタク」と呼ばれている人々の評価は驚くほど違うのである。
 したがって、オタクを論じるには、オタクとは何か、どのような人々なのか、その特性は何かといった前提条件から始めなければならず、細部に異常に拘るのがオタクの特性でもあるから非常にややこしい論が多い、ということにならざるを得ない。
 そのようなオタクを取り巻く事情とオタクの特性に関係があるのか、オタクにあまり関心のない人が読んで、なるほど「オタク」とはそういう人々であり、「オタク文化」とはそういうことであったかと膝を打てるような新書は登場していない。『オタク学入門』(太田出版)で知られ自他共に「オタク」研究家の第一人者と認める岡田斗司夫の著書が新書のラインナップに入っていないのも残念ではある。
 それはさておき。
『「おたく」の精神史 : 一九八〇年代論』(大塚英志著、講談社現代新書)は、ロリコンエロ漫画雑誌編集者から出発し、編集者、漫画原作者、評論家、小説家と幅広く活躍する著者の、自分史を重ねた1980年代若者論である。それが多くの人がイメージする「オタク」と重なるかどうかは別として、大塚の認識は「自分=おたく」であり、その認識が個人史を「おたくの精神史」ととらえる根拠となっている。それは、さらに突き詰めていけば、1980年代の若者論ともなりうるというのが大塚の立場である。それは、「おたくが体現したとされる不毛さや困難さは相応に同時代に共有されるべきもの」だと、大塚が考えるからである。本書が意図するのは、おたく批判やおたく賛美ではなく、「おたく文化の隘路や困難さや不毛さ」を書き残すことであり、「その起源に遡ることのみ」が試みられている。付け加えれば、「おたく」とひらがな表記しているのは、80年代にはまだ市民権を得た「オタク」という言葉はなく、当時いたのは「おたく」であり、おたく=オタクではないと大塚が考えるためだ。
 第一部「『おたく』と『新人類』の闘争」は相当に興味深い80年代若者論だと思う。大塚は新人類と呼ばれた若者のあり方を総括し「『新人類』の本質とは実は消費者としての主体性と商品選択能力の優位性にある」、「『新人類』は置き換え可能な何者かが偶然、選ばれたにすぎない」「新人類は努力を欠いていた」「(新人類は何もしないで)誰かに発見されることを待っていたのである」などと記している。同じ時代を同じ世代として生きたものとして、いちいちもっともな指摘であると言わざるを得ない。
 一方のおたくは、努力をしていたかどうか、彼らの熱中が、新人類のそれに比して「努力」と呼ぶにふさわしい何かであったかどうかは別として、大塚は、市場に溢れていた商品や情報では飽き足らず、「彼らが『消費者』としてふるまうには、既存の商品及び既存の市場はあまりに乖離していた」と記す。当時、圧倒的な少数派であった「おたく」は、かくして、「変わり者」「ドロップアウト」のレッテルを貼られていくことになったのであろう。
 しかし、ロリコンエロ漫画編集者であった大塚は、「『新人類』が擬態された『運動』であり、他方『おたく』は成長していく『市場』」であると看破し、自らが編集する雑誌から「新人類」の系譜である作家を排除し、「おたく」の作家を育て雑誌を成功させた。大塚の予測どおり、「おたく」は90年代には「オタク」と呼ばれるほどまでに市場として成長したのであった。
 大塚はそう書いてはいないが、「新人類」は「世代」であったのに対し、おたくは「文化」であったのだなというのが、私が本書を読んだ感想である。
『動物化するポストモダン : オタクから見た日本社会』(東浩紀著、講談社現代新書)は、「オタク系文化の構造には私たちの時代(ポストモダン)の本質がきわめてよく現われている」という著者の考えに基づいて、オタク系文化の変遷とその外側の社会的変化との関連を取り出そうと試みる。著者のいう「オタク」とは、コミック、アニメ、ゲーム、特撮、SF、フィギュアなど一群のサブカルチャーに耽溺する人々の総称であり、その一群のサブカルチャーを著者は「オタク系文化」と呼んでいる。
 少し乱暴だが東の考えを単純化すると
 1.近代(モダン)とは産業革命に端を発し、民主主義国家のさまざまなシステムが整備された時代であり、民主主義の元での経済成長により人々は幸福に成るという「大きな物語」が信じられていた時代
 2.ポストモダンは、モダンの幻想(=大きな物語)が機能不全に陥りほころびを見せた時代であり、その補填として夥しい数の小さな虚構(例えばカルトなど)が林立する、物語喪失の時代
 3.作品のオリジナリティー(物語)より個々のキャラクターの魅力が重視され、作品が描く物語とキャラクターグッズが同列の商品となる“オタク系文化”のありようが、ポストモダンの構造と重なる
 というようなことである。その行き着く先はタイトルが示すように「動物化」する社会であるという。人間は欲望を持つが、動物は欲求しか持たない(詳しくは本書を読んでください)のであって、「欠乏⇔満足」の回路に閉じこもってしまうことを、著者はフランスの哲学者コジェーヴに倣い「動物化」と呼ぶのである。
「オタク」を正面に据えて論じた新書は現在のところ、この2冊のみである。
 参考書としては、「オタク」たちが耽溺している作品の解説やそれらが作られていく過程、作り方、作り手の歴史などをしるした作品群がある。
『造形集団 海洋堂の発想』(宮脇修一著、光文社新書)は、オタクから絶大な支持を得た食玩(食品玩具、おまけ付き食品のこと)「チョコエッグ」の生みの親「海洋堂」のビジネスのハウツーとスピリッツを、2代目の著者が記す。
『〈美少女〉の現代史 : 「萌え」とキャラクター』(ササキバラ・ゴウ著、講談社現代新書)は、「キャラクター消費社会」の巨人と化した「美少女」というイメージのあり方を手掛かりに、キャラクターと「萌え」の歴史を、男性の視点から追う。「萌え」とはキャラクターに強い愛着を感じることをいう。
ウインドウを閉じる
<< PAGE TOP